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2009年3月

ラッキーとあいつと妻(四)

 四

ラッキーを餌にして夫婦間の会話を取り戻し溝を埋めようとしたあいつの計略はある程度成功したように見えた。あいつは組み立ての犬小屋を買ってきた。妻はいそいそとパーツを支えて組み立てを手伝った。頼みもしないのにマジックで<ラッキーの家>と書いたシールを持ってきて

「ねえ、何処に貼る?」

年に似合わぬ甘ったるい声で犬小屋の入り口の上段に貼った。あいつは上機嫌でラッキーは出来上がった犬小屋に抛り込まれた。が、ラッキーは直ぐに飛び出してやった。

「あんた、置き場所が悪いんじゃない」

あいつは妻の言い分に納得したのかあっちこっち置き場所を替えたが結果は同じだった。野生に戻った母親から産まれたラッキーは犬小屋は狭くて圧迫感に耐えられない。

あいつは諦めずにジャーキを鼻先にちらつかせて小屋に誘導したが、ラッキーはその場にどさりと伏せの構えを取り相手にしなかった。あいつは腹を立て、

「人が折角作ってやったのにこのやろう!」

と、再び小屋に投げ込まれたがラッキーは又もや素早く逃げてやった。

「そんなに乱暴にしちゃだめよ。ラッキー、ほら暖かいよ」

妻は女親らしく優しく声を掛けながら古い毛布を折りたたんで小屋の中に敷いてくれた。薄情なあいつとは大違いだ。

小屋入れを諦めたあいつは首輪にリードを付け、ラッキーが逃げられないようにして、血も涙もない特訓を始めやがった。

「お手!お座り、伏せ!」

と何度も執拗に頭を叩きながら繰り返した。叩かれるたびにラッキーは<キャン!>と泣いた。

「もういい加減にしたら!可愛そうやないの」

「いや、甘やかしたらあかん」

あいつは息子二人も厳しく教育したらしい。入学式にも父親授業参観にも欠かさず出席した。その結果は長男は円形脱毛症になり、次男は千五百メートル競争で断トツのトップでゴールしたにも関わらずスタート直後のコーナーで押し出され一歩コースをはみ出した規則違反で失格にされ、それが原因なのか次男は長距離ランナーを諦めた。自分は貧乏で大学にも行けなかったという逃げ道をつくり息子たちに期待していたがトンビが鷹を産むわけがないし、メンデルの突然異変も起こる筈もなく結局二人とも平凡なサラリーマンになった。

ラッキーは叩かれるのが厭でしぶしぶあいつの支持に従った。チョコンと座ってやったら

「まあ、お利巧ね!」

妻が叩かれて痛い頭を撫で撫でしてくれたが、うっとしいので小屋の中へ逃げて不貞寝をしてやることにした。妻は小屋の中まで腕を伸ばしてきて、

「可愛い!可愛い!」

と連発しながらお腹の周りをまさぐり回した。

<おお、これはなんだ!気持ちいい!>

ラッキーは目をしょぼつかせて久しぶりに深い眠りに落ちていった。草むらで母親に甘えて乳房に吸い付こうとすると母親は邪険に払いのけ、ゆっくりと立ち上がり立ち去ろうとした。ラッキーが追いかけようとすると母親は振り向きウウッとラッキーを睨んだ。尚も追っかけようとしたが、

<お前はもう私の子じゃない着いてくるな。早く帰れ>

と言わぬばかりに素知らぬ振りをして何処かへ立ち去った。ラッキーは仕方なく兄にじゃれ付こうとしたが兄はひょいと身を交わす。何度も飛び掛ろうとするが忍者のようにスッと消えて居なくなる。パッと現われたと思うと煙のようにスッと消える。

<兄ちゃんラッキーだよ。兄ちゃん、兄ちゃん!>

自分の泣き叫ぶ声でラッキーは夢から覚めた。慌てて小屋から飛び出し悪夢を追い払うようにぶるぶると身震いをしてキョトンと周囲を見渡した。母も兄も居ない。ラッキーは仕方なく犬小屋に潜った。

あいつはラッキーが少し懐いたと見たのか得意そうに散歩に連れ出した。公園の運動場の真ん中で追っかけごっこをして遊ぼうとして、子犬だからと甘く見てリードを放しやがった。その一瞬にラッキーは公園を駆け抜け、車が行き交う道路を突っ走り工場跡地へと遁走してやった。あいつは

「危ない!止まれ!危ない!」

大声で叫びながら息を切らし必死の形相で追いかけて来た。生憎母も兄も何処かへ出かけたらしく助けを求めたが誰も居なかった。路地の隅に追いやられとうとう捕まってしまった。<キャンキャン>と大声で助けを求めたら食堂の小父さんが飛び出して来た。

「その犬……

「すみません。首輪が無かったので貰ったんですがお宅の犬ですか?」

「いや、飼ってるという訳ではないんだが……

小父さんには母さんが時々餌を貰っていた。

「譲って貰えますか」

渋ちんのあいつが万札を出した。

「いや、捨て犬の子供だから可愛がってもらえば良いんです……もう一匹居たでしょう」

小父さんはちょっと言いよどんだ。

「ハイ、居ましたね。でも私が貰ったのはこれだけですよ」

「それが……殺されたんですよ」

「ええ、本当ですか!」

「吠え付いたので酔っ払いが蹴り上げたんです。当たり所が悪かったのか一発であの世行きですわ」

「可哀想なことするなあ……それで母親は」

「死んで息をしてないあの子を銜えて何処かへ行きよりました……ほんまに可哀想で見て居れませんでしたよ

「ほんまですなあ。酷いことをする人もいるんですなあ……

あいつはポロリと涙を落とした。それにしてもあの夢は正夢だったのだ。兄さんは死んでしまった。母さんは息のとざえた兄を銜えて何処へ行ったのだろう。折角育てた我が子が二匹とも居なくなることに耐え切れず亡骸と分かっていながら別れをすることが偲びがたかったに違いない。

<母さん安心してラッキーは元気でいるよ>

ラッキーは母さんに届くように大声で叫びたかった。あいつが流したのは亡くなった兄や子供をなくした母親の心情を察しての涙に違いない。多少の情はあるんだ。連れ去られた時ラッキーの母さんが唸り声を出さなかったら兄と取り替わることもなかった訳で、今頃ラッキーが天国か地獄へ行っていたかと思うと背筋が寒くなってあいつの胸にしがみ付いた。あいつの妻はあいつを薄情物だと口癖のようにのたまうが、決して悪い奴ではなさそうなんだが。

<衣はともかくとして食住は満足とまでは云えないにしても不自由しないのだから幸せなんだろうか>

今更ながら犬も人間並みに運不運が付きまとうものだと痛感した。

「ですからその子犬、可愛がってやってくださいよ」

「はい、分かりました」

<ほんまかいなあ、ほんまに分かってんのか。伯父さんあいつは調子が良いだけの男なんですよ。あいつは自分の事しか考えてない自己本位のどうしようもない奴ですよ。可愛がるなんてとんでもないことですよ。こんな男にラッキーを任さないでよ>

それでもあいつは飼い主としての自覚が少しは芽生えたのか早速保険福祉センターに登録すべく電話をしておった。

「はい、それで犬の種類は」

「ええ、種類?種類は犬ですよ」

「犬は分かりました。だから犬の種類ですよ。マルチーズとかヨークシャテリアとかいるでしょう」

「そんな立派なもんじゃありませんよ。捨て犬の子なんですから」

「捨て犬の子?それでメスですかオスですか」

「はい、メスです」

「何歳ですか」

「わかりません」

「わからない分からないってあんたね!いい加減な人だなあ……宜しい、今各地の小学校を回って狂犬病の注射をしていますので近くの小学校の巡回日を通知しますから必ず連れて来てください。そこで種類も年齢も分かると思いますので。よろしいですなあ」

「はい、承知しました」

ラッキーは指定された日曜日あいつに連られて小学校やらに赴いた。今まで通ったことのない初めての道だ。何処へ連れて行かれるんだろう。あいつを百パーセント信用しきれない不安と緊張から便を催した。道路の真ん中で消化しきれない柔らかいウンコをしてやった。

「あ、こいつ何をするねん!道の真ん中で」

あいつは文句を云いながらチリ紙で糞をドンくさい格好で掴み取ろうとしたが柔らかくてきれいに拭き取れないらしく、

「朝散歩の時ウンコしたやろ、なんで又こんな所でするねん」

あいつは又ポカンと頭を叩きやがった。やっとの思いで小学校に着いたら多数の仲間がいたが母さんは見当たらず洋服を着たり可愛いリボンを付けた血統書付きの犬ばかりだ。少し気後れしているところに大きなラブラドールレトリーバーが気安げに近寄ってきてお尻の周りをウロウロと嗅ぎまわるので<ウウッ>と威嚇して飛び掛ってやった。

「まあ、乱暴な犬ねえ!躾けしてないのかしら」

中年の細身な小母はんは薄紫のサングラスの奥でラッキーを睨み付けながら小声で文句を云ったがあいつは横を向いたままうちの犬じゃありませんよと言わぬばかりに他人の振りをしているやがる。

そう云えばあいつの妻がよく愚痴っていた。二人で電車に乗っていてもあいつは独身ですよと言わぬばかりに離れて腰掛け見知らぬ女性ばかり見つめていたと。

<ヤレヤレ冷たい主人だ。先が思いやられるよ>

「何云ってやがる。お前は怖がりの癖に飛び掛るのがいけないんだよ。俺まで恥を掻いたじゃないか」

「ラッキーちゃん、ラッキーちゃん」

ちょうど係りの女助手がラッキーを呼んだ。ラッキーは小さなテーブルの上に載せられたがラッキーはすかさず飛び降り逃げてやった。

「ご主人ちゃんと捕まえて置いて下さいよ」

あいつは皆の前で頭を叩くわけにもいかず、

「すみません。この子怖がりですねん。先生怖くないからね……

愛想笑いをつくりながら若い娘を襲うように有無を言わせぬ必死の構えでラッキーはあいつに押さえ込まれた。全く妻との最初の時も同じだったらしい。お風呂帰りに交換日誌を持ってあいつの下宿へ立ち寄った折、キスをしていて行き成り妻を押し倒したのだ。あいつは半ば合意のうえだと弁解するがもっと厳粛なものだろう。

<分かったわよ。そんなに強く押さえないでよ。苦しいよ>

獣医はさすがに手馴れたもので一瞬の隙に<キャン>と啼く間もなくお尻の近くに狂犬病の注射をしやがった。

<あ,痛。淑女のお尻に何をするねん>

獣医の奴はそんな淑女の乙女心にお構いなしだ。

「茶と白模様の雑種ですな。何時買われました」

「いや、拾ったんです」

「拾った?まあいいでしょう。それで何時」

<まあいいでしょうとはなんだ!あいつは勝手に拉致しやがったんだぞ>

「正月の中頃かな」

「一月ですか……

獣医はラッキーの顎たんを掴み口をあけさして、

「ははん、永久歯が大分生えてますなあ。六っヶ月位でしょう」

「そうですか、六っヶ月ですか」

「じゃあ、これ鑑札とステッカーです。鑑札は首輪に、ステッカーは門の所に貼ってください」

「門?そんなもんありませんよ」

<洒落を云うてる場合か。犬を飼うんだったら門構えのある庭付きの家に移れよ>

「じゃ玄関の扉に貼って訪問者に分かるようにしてください。登録代と注射料金五千二百円です」

「ええ、そんなに高いの」

<五千円ぐらいで高いと云われりゃかなわんなあ。他の犬は何十万もするんだよ。お前は唯で拉致したんだろう>

「はい決まりですから」

あいつは仕方なく又妻が文句を言い出すのを恐れながら料金を支払った。

「まあいいじゃないの、天下晴れてラッキーは家族になったんだからね。可愛い!」

妻はあっさりと云ってラッキーを抱き上げ頬摺りしてくれた。

<何か気が晴れたような気分。幸せだワン>

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ラッキーとあいつと妻(三)

 三

<ラッキーを拾ってきたのもあいつの気まぐれな趣味の一環に過ぎないような気がするネ>

あいつには二人の息子がいたらしいがそれぞれ独立し今は夫婦二人だけの生活だった。五十を過ぎた夫婦生活は味気なく些細な事で崩壊しかねない状態にあるにもかかわらずあいつは愚かにも浮気を企んだらしく、気分も新たかな元旦から突然襲われた悪夢に苛まれておった。夫婦の間には突風が吹き荒れてたのだ。あいつは同窓会をきっかけに同級生と浮気を企んだが隠し事のできないあいつは直ぐにばれてやがった。それは全くお粗末なばれ方だった。毎年来る同級生からの何の変哲もない普通の年賀状からだった。印刷された文面の端っこにペン書きで「今年こそよろしく」と添え書きされていた。日頃印刷物の校正をやっている妻がそれを見逃す筈がない。

「これ可笑しいんじゃない「今年こそ」って何よ?普通は今年もでしょう。説明して頂戴!」

「説明しろたって唯書き間違えただけだろう」

「年賀状よ。普通書き間違えた年賀状を出すわけがないわよね。夏の同窓会で何かあったんでしょう!」

女の勘は凄いもんだ。見事にあいつの愚かな細工を見破った。

人間の男って奴は始末におけない生き物だ。あいつは五十を過ぎるともう己の行く先が見えて男としての存在価値というか男としての値打ちがなくなり、男でなくなるような気がしたのか急に焦りだしやがった。棺桶に片足を突っ込み後は寝っ転がるだけなのに、これで俺の人生も終わりかと勝手に思い込み、この結婚生活は間違ってなかったのかと嘆き悲しみ、他にもっと楽しい家庭が持てたのではないかと最後の悪足掻きをしだした。無駄な精力と神経を使い残り火を奮い立たせようとしていた。あいつも世間のくだらない男と同じように唯のおっさんだったのだ。

あいつは昨夏、同窓会で久しぶりに中学時代クラスのマドンナであった志乃と直接話し合える機会に恵まれたらしい。

<いや、あいつのことだ。チャンスを狙っていたに違いない>

何事も念じていれば偶然は起きるのかもしれない。あいつはいい調子に酔っ払ってトイレに立った帰りの廊下で、偶然あいつと同じように酔いを醒ますべく窓を開けて風に当たっている志乃に出会った。

「お久しぶり。お元気そうね」

あいつを待っていたかのように志乃から声をかけられた。微笑んだ可愛らしい笑窪は中学時代と同じだった。その笑窪がなんとも堪らなく魅了された男子生徒は数知れなかった。中でもあいつは未練を断ち切れずにいた。

「ああ、身体だけは元気だよ。貴女も元気そうじゃないか」

あいつは酔いで薄紅色に染まった笑窪に見とれながら云った。

「ええ、ありがとう。お陰で元気よ。懐かしい仲間に会えて楽しいわ」

「ああ、みんな子供にかえって楽しそうだね……

「ええ、ほんまに……

 そこで二人の会話は途切れた。無言で唯見詰め合うだけだった。二人とも殊更に家庭や家族の話題は互いに避けていた。二人とも家庭がうまく行ってないのかも知れない。

「明日、屋島に行かないか」

 あいつは中学時代に戻ったような錯覚にとらわれ唐突に云った。

「え、屋島」

「ああ、何時だったかなあ遠足で行ったろう。あれから行ってないんだ」

「ええ私も長いこと行ってないけど、あそこは若い人たちのデートコースでしょう」

「いいじゃないか。昔に戻ってデートしよう」

 一瞬志乃は吃驚したように耳を疑った。閉経期を迎えた五十過ぎの小母はんを誘ってくるあいつの真意が分からなかった。今更デートでもあるまいに何で。

「見晴らしも良いし、カワラケ投げたいんだ。帰りにどこかで食事でもしないか」

「食事、食事だけならいいけど……

志乃は自分に納得させるように戸惑いながら応えた。

「明日車で迎えに行くよ。何処で待っていればいい」

「車は困るよ。誰かに見られないとも限らないし近所の手前があるでしょう」

幾ら年を取っても近所の噂にはなりたくない気恥ずかしい乙女心が残っているようだ。

「そうだな……田舎では拙いか。じゃケーブルの登山口で二時に待ってるよ」

あいつは勝手に午後二時と決めた。

「二時ね……ええ、いいわ。」

志乃は二時という時間に少し躊躇したが思い切るように明るく云った。水玉模様のワンピースは志乃のしなやかな少し丸みを佩びた身体のラインを浮かび上がらせていた。青い水玉に入り混じったセピア色の水玉が派手さを抑えていた。

 翌日あいつは車を駐車場に預け、山頂で瀬戸内の絶景を楽しみながら水族館や血の池を巡り何処かで食事をしてスナックで飲んで歌って意気投合し……と、いろいろプランを練りながら約束の三十っ分も前からケーブルの登山口で、わくわくした気分で志乃を待っていた。だが一時間待っても志乃は現れなかった。遠い昔遠足の時美人のガイドが壇ノ浦の戦いで源氏に反対から攻められて、

「や、失まった。や、しまった」

と平家の総大将が嘆き、屋島になったと皆を笑わせたのをあいつは思い出したのか、あいつも、

「や、しまった」

と嘆いておった。さすがに結婚している志乃の家に電話する勇気はあいつにはないらしく、ええ歳をした五十一才のおっさんが選りによって五十一才のおばはんに振られていた。あいつの純粋さは誰にも理解されなかった。マンネリ化した日常の生活からカワラケ投げのように気流に乗って飛び立とうとしたが失速して壇ノ浦に真逆さまに落ちていった。萎れきって首を垂れた花のように哀れというより見苦しい無惨なあいつがいた。妻を裏切ろうとした罰だ。

同窓生の賀状はあいつだけに分かるように詫びた積もりだったのだろう。

そんな訳であいつは愛らしいラッキーを拉致して来て正月早々たわいもない年賀状で夫婦間に亀裂の入った溝を埋めようとしての企みらしい。

<やっぱりそうか。ラッキーを出しにするとはネ、それにしてもよく企む男だ>

「誰が世話するん。あんたが面倒みるの?私は知らないわよ」

妻は冷たくあしらいながらも、ラッキーの可愛い顔を見て少し風向きが変わってきた。

「ああ、俺がするよ」

「本当にあんたがおしっこや糞の始末するの?」

「ああ、犬の糞ぐらい任しといてよ」

<ほんまに大丈夫かいな。いい加減なんだからこの男は何を企むか知れんよ>

念を押した妻は少し訝りながらもラッキーを抱き頬擦りした。

「まあ可愛い!お前も因果な男に拾われて可哀想ね」

そんなことを云いながらもお椀に牛乳を入れて持って来てくれた。やはり妻の方が情があるらしい。お腹が空いていたラッキーは不覚にもそれをぺろぺろと巻き舌で飲んでしまった。

<ああ、おいしい>

「可愛い!」

ラッキーは口の周りと首周り、手足が白く胴体は茶色で眉間には三角の白い星が輝いていた。柴犬が係っているらしく尾の先が白くふさふさとして上に丸く跳ね上がっているのが自慢だ。だが簡単にラッキーはあいつらに尻尾を振るわけにはいかない。母や兄が恋しくて堪らなかった。勝手に連れてきた彼らを許せなかった。三日三晩泣き通したら涙が無くなった。あいつは何の許しもなく勝手にグッド・ラックを捩ってドッグ・ラッキーと叫んで一人悦に入っていた。四国生まれのあいつは何時の間にかほんまもんの関西人になったらしく如何にも関西人らしいつまらない洒落でラッキーと名付けやがった。

「お前はラッキーな奴や。俺みたいな優しい人間に飼われてほんまにラッキーや」

<何云っとんや。何の断りもなく連れて来たんやないか。早よ母や兄の所へ帰して!>

「ラッキー。ラッキー!」

あいつは犬を呼ぶのに猫なで声で頭を撫で撫でしながら何度も

「ラッキー。ラッキー」

呼び捨てにしやがった。気に入らぬので素知らぬ顔をして横を向いてやった。あいつはいきなりポカンと頭を叩きやがった。

<あ、痛た……この薄情者め!なんて事を>

更にラッキーを差し上げて振り回し

「ラッキー、お前はアホか!一晩中泣いてたくせに」

<アホとは何よ!いくらなんでもアホはひどいんじゃない。目が回るよ>

「おや?こいつメスだよ」

「ええ、ほんと女の子だよ。どうしょう?」

あいつの妻は驚いたようにラッキーを見つめ直した。

<メスもオスも分からないで名前付けたのかよ!ええ加減にしてよ>

「うちは息子ばっかりやし娘もいいんじゃないか」

「やっと子育てが終わったのに……

妻が何が云いたいのかあいつには分かっていた。女としての務めも子育てももう卒業したのだ。今更子犬の世話などやりたくない。やっと開放されて好きなことが出来ると喜んでいた矢先だ。あいつは惚けたように、

「そや、お八つや!お八つが無いから云う事聞かんのや」

あいつはコーナンへ車を飛ばしてお八つやビーフ&野菜入りの缶詰や首輪などどっさり買い込んできた。

「まあ、こんなに仰山!金掛かるわね」

始末屋の妻らしく溜息をついた。あいつはそんな事に関わらずジャーキを一本鼻の前に突き出した。

「ラッキー。ラッキー!」

<ウっ、なんだこれは美味そうな匂いだなあ!クンクン。ちょっと待てよ、美味いもんには毒があるって云うからなあ。ひねくれもんのあいつのことだ。何をしでかすか分かったもんじゃないクワバラクワバラ>

関係ないよと無視してやった。あいつは諦めたのか印刷の仕事に係った。

その間にむしゃむしゃと食ってやった。

<旨い!生まれて始めての味だ。だがこの家は油臭いし、印刷機械の音が喧しくて怖いよ>

一仕事終えたあいつが又寄ってきた。

「あ!こいつ黙って食ってる」

あいつは怒って叩こうと手を挙げた。

<ワンワン>

と吼えてやった。あいつはお!と言う顔をして

「ラッキー。ラッキーちゃん」

と甘い声で呼んで頭を撫で撫ぜしてくれた。

<ワンワン>

あいつは有頂天になった。

<まあ、吼えるくらいはええか。何処かの名無しの猫より増しか。名前まで付けてくれたんだから>

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